紫禁城 外朝


天安門
紫禁城はかつては城壁に囲まれていました。
その城壁には、

  • 外七(内城の外およそ2km8kmにある七つの門)
  • 内九(皇城周囲およそ5kmにある九つの門)
  • 皇城四(中南海などを含む地域を囲む四つの門)

と呼ばれる多くの城門がありました。
天安門(皇城四)は紫禁城を囲むお堀の外。
まだまだ紫禁城の外です。

天安門広場は道路を挟んだ向こうに見えるので、交通量の多さでここからはその広さをあまり感じられませんでした。
しかしすごい人の多さ。


天安門傍の華表。


天安門の中を抜けたら…


紫禁城の始めの入り口、午門
人、人、人。
ここ、映画『ラストエンペラー』で、多くのシーンで使用されていた。

午門を抜けると、ようやく紫禁城の中。

内金水橋から太和門を眺める。(まだ門がある!)
ちなみにこの中央の橋は皇帝専用。

太和門をぬける前に左方向へ折れ、西華門方向へ。

人が急に少なくなってホッとする。右に見える門の下に、三人くらいのカーキー制服(係員かな?)の女の子たちが座りこんで、パン食べてた。


現在は西華門近くは立ち入り禁止。門の方向から、雄雄しい斉唱が聞こえてくる。軍かな?国慶節が近いのでそれと関係があるのかも。



きれいな装飾がどこにでもある。



保和殿回廊には、乾隆帝の馬具がさらっと飾られてたり。わわわ!あのカスチリョーネが描いた絵のやつだよ!



太和殿



清朝時代の様子。ラストエンペラーで溥儀が即位したシーンにありましたね。



太和殿の三重の基台にいる「チ」。雨の日に水を噴き出すらしい。



太和殿の龍陛(りゅうへい)。皇帝が通るためだけのものだから、皇帝の行くところには必ずある。ほんとに沢山ある。これでもかというくらい見ました。


脇の階段にも彫刻が施されている。


太和殿内部の写真を撮るためには、
この、ラッシュアワーを抜けていかねば!



一番前で撮った写真がこれ。
太和殿内部。
もはや見るのではなく、写真を撮るだけのために入り口へ群がる悲しさよ。
以前は中まで入れたはず(ラストエンペラーのラスト、本来清朝皇帝のものだった建物に、騒がしい観光客が無遠慮に入ってくるシーンがとても印象的)。
天井には「軒轅鏡」が釣り下がっていて、天命無き者が玉座につけば、落下して頭を砕くという伝説があったので、袁世凱玉座を移動したという描写が『中原の虹』にありましたが、そんなこと感じる暇もなく・・・。
そしてこの玉座は確か皇帝が連綿と受け継いだ玉座で、後世になって再び発見されたものだとか。
袁世凱のときに倉庫に追いやられて、袁世凱は違うものに座ってたんだったっけ?
出発前に本を読んだんですが、まるであいまいですね。すみません。



遠くに景山が見える。



防火用水を貯めるための瓶には、アロー号事件のときに英仏連合軍が剣で金メッキを削り取ろうとした跡が生々しい。



中和殿
またもラッシュアワー。まだ紫禁城半分なのに、すでに疲労が。このラッシュアワーに飛び込み外側から内部を見たのですが、全く覚えてません。



太和殿、中和殿、保和殿は高い位置にある。



保和殿科挙の最終試験「殿試」が行われた場所。
最終試験というより、合格した者に順番をつける試験。『蒼穹の昴』では、楊先生と梁文秀が言葉を忍びやかに交わしている。

たまたま写りこんでしまった正面のおばあさんが目を細めているように、とにかく日差しが強い。
カラッとしていて、空も青く、北京では一番いい時期。数年前までは、大気汚染でこんな青空はなかなか無かったとか。



保和殿裏の龍陛
蒼穹の昴』で栄禄はグイグイ登り、『中原の虹』で皇帝になるはずの袁世凱は登るのを躊躇う。



隆宗門
扁額に、明を滅ぼした李自成の矢じりの跡があるらしいので、見に行ってみたら、カフェになっていた。
そしてあるはずの扁額が見当たらない。
どっかにもっていっちゃったのかな?と思ってあきらめたのだが、扁額って普通外側に飾るよね!と気づいたのは大分後になってから。
残念です。
しかし欧米人ばっかであった、このカフェは。欧米人はカフェがお好き。



隣の軍機処(名前の通り、軍機大臣が詰めてた場所)に展示してあったもの。
清朝末期の軍機大臣たち。
右から恭親王奕訢、栄禄(『中原の虹』では西太后の女心を利用した男に描かれてましたね)、李鴻章(だと思うんですが、ちゃんと確かめなかった:李鴻章は軍機大臣ではなく北洋大臣)。



右から袁世凱、醇親王載灃(光緒帝の弟であり、溥儀の父ちゃん)。

栄禄の写真以外は皆さん清朝の正装してますね。


・・・まだ紫禁城の半分の外朝だけでこの長さ。
記事続く。